岡田 啓介 Keisuke OKADA 1868~1952
慶応4年(1868)福井市手寄町生まれ。福井藩士・岡田喜藤太の長男。旧制福井中学卒業。明治22年海軍兵学校を卒業。日清戦争では、海軍少尉で出征、豊島沖海戦と黄海の大海戦に参加。明治34年海軍大学校甲種卒業、日露戦争では春日副長として、日本海大海戦に従軍する。その後、海軍大学校教官、水雷学校長などを歴任する。大正2年海軍少将に任ぜられ、さらに海軍省人事局長、同省艦政局長を経る。大正13年海軍大将、連合艦隊司令長官となる。昭和2年田中一義内閣、昭和7年斎藤実内閣の海軍大臣に就任、政治的手腕が認められる。昭和9年大命降下により、第31代内閣総理大臣。昭和11年二・二六事件により、内閣総辞職。のち重臣として、第二次世界大戦末期には、東條英機内閣打倒を工作する。昭和20年4月成立の鈴木内閣に女婿の迫水久常を書記官長に推し、戦争終結に影響力を発揮する。昭和27年(1952)歿、85歳。
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